台湾情勢はなぜ緊迫しているのか? ニュースでは分からない中台関係の基礎知識 ①
「台湾有事」という言葉が、昨年からメディアでかなり頻繁に登場するようになりました。先日も、中国が台湾侵攻を想定した軍事演習を行ったことが大きなニュースになりました。台湾の蔡英文総統が訪米し、米下院議長と会談したことを受けてのものでした。
通常のメディアでは、刻一刻と新しいニュースを伝えることに忙しく、台湾情勢を理解するための基本的な知識が丁寧に解説してくれることはほとんどありません。とりわけ、台湾問題は政治的・外交的に敏感であり、歴史的な経緯から大変わかりにくいことも、基本的な解説が避けられやすい理由だと思われます。
そのため、中国と台湾は一体どういう関係なのか、基本的な事実を知らない人は意外と多いのではないでしょうか。中国と台湾の関係が緊迫していること自体は分かっているけど、なぜこんなに緊迫しているのか、なんとか平和的に解決できないものなのか、と疑問に感じる方もいるでしょう。
私は学生時代から台湾の現代政治状況の研究を始め、これまで多くの専門書などを読み込み、現地の情報にも接してきました。その知見も生かしつつ、中台関係の基礎知識シリーズを2回にわけてお送りしたいと思います。それぞれ3枚のスライドを用意しています。(1回目は無料版、2回目は有料版)
1回目は、次の3つのスライドを使って、中国と台湾の関係についての基本的なファクトを整理します。
① 中国(大陸)と台湾の客観的、基礎的な現状
② 中国(大陸)と台湾の統治主体の変遷
③ 台湾における総統・立法院の勢力推移
2回目は、次の3つを整理する予定です。誰もが対立・紛争や戦争ではなく、「対話による平和的解決」を願っていると思いますが、それがなかなか実現しない要因について解説します。
④ 中国と台湾の現状認識 各々の公式見解
⑤ 台湾の将来に関する各々の公式見解
⑥ 中国と台湾をめぐる対話と対立の状況
中国(大陸)と台湾の客観的な現状
まず、中国大陸と台湾の統治主体に関する客観的な現状を比較しておきましょう(以下では、基本的に「中国」は、地理的な概念としての「(台湾を除く)中国大陸」を意味するものとします。ただし、台湾を含む「中国」という概念もあるので、それは別途説明します)。
国号、国家元首、最高法規、貨幣、軍隊、政治体制、国交・国連加盟についての客観的、基礎的なファクトをまとめたのが、次の図です。
筆者作成
中華人民共和国は1949年に毛沢東が建国した国家、中華民国は1912年に孫文が建国した国家であるということは、ご存知でしょう。1912年に建国した「中華民国」という名の国家が、いまは台湾という限られた地域だけ統治しているというのが実態です。
日本のメディア、ニュースでは「中華民国」という表記は、目にすることはほぼないでしょうが、正式には現在も「中華民国」という(中国大陸で発祥した)国家が、台湾に存在し統治しているという状態です。(台湾では繁体字を使うため「中華民國」と表記されます。)
大陸と台湾では、法体系も、貨幣・経済システムも、政治体制も、全て異なります。当然、パスポートも異なります。
ただ、公用語は中国語の標準語で、共通しているといえます(使用文字は、大陸では簡体字、台湾では繁体字と異なります)。
一方、台湾に現存する中華民国は、国連加盟国ではありませんが、正式な国交のある国が残っています。中国政府は「一つの中国」原則から、中華民国との国交を認めていないため、中華民国が外交関係をもっているのは中華人民共和国と国交のない国ばかりです。
日本は1972年以後、台湾にある中華民国を正式な国家・政府と承認していないため、外務省のページにも「中華民国」という文字は出てきませんが、中華民国が外交関係を有する国の名前は列記されています。
中国(大陸)と台湾の統治主体の変遷
次に、中国(大陸)と台湾の統治主体がどのように変わったのかを確認しておきます。
筆者作成
1945年の終戦まで、中国大陸は中華民国(1912年成立)が、台湾は日清戦争の講和条約(下関条約)で清朝から台湾の割譲を受けて以来、日本が統治していました。
ややこしくなったのは、日本の敗戦後です。
まず、台湾は、中華民国に接収されました。ここで、大陸と台湾が一時的とはいえ、統一された状態になったといえます。台湾に適用されている現在の中華民国憲法が制定されたのも、1946年でした(日本語訳参照)。まだ中華人民共和国が誕生する前の話です。
しかし、まもなく国共内戦(中国国民党と中国共産党の内戦)が始まり、国民党は敗北して台湾に拠点を移します。中華人民共和国は1949年に成立しました。以後、大陸は中華人民共和国政府が、台湾は中華民国政府がそれぞれ統治する状況となり、今に至ります。
その後、台湾の統治主体をめぐっては、大きな変化が2つありました。
1つは、国連からの中華民国政府の追放(1971年)。
国連総会決議で、大陸を統治していた「中華人民共和国政府の代表が国連における中国の唯一の合法的な代表」と認定され、中華民国と断交し、中華人民共和国と国交を結ぶ国が次々と現れました(日本は1972年に、アメリカは1978年に中華人民共和国と国交樹立し、同時に中華民国と国交断絶)。
国家としての中華民国は国際社会で存在感を失いましたが、台湾経済の発展はめざましく(1990年代まで外貨準備高は日本と世界一を争い、現在も上位に位置する)、台湾は大陸と異なる独自の地位を保ちます。
もう1つは、台湾における民主化(1990年代〜)。
台湾にある中華民国は、中国国民党の一党独裁で、長らく内戦状態による戒厳令下にありました。1980年代後半から民主化の動きが強まり、90年代から議会(立法院)と総統のいずれも、直接の普通選挙によって選出されるようになりました。そして2000年、初の政権交代を果たし、台湾で生まれた政党(民主進歩党)が政権を平和裡に継承します。
すでに7回の総統選挙(大統領選)、9回の立法院議員選挙(議会選)が行われています。特定政策の賛否を問う国民投票も5回実施されました。
なぜこれが大きな変化かというと、1912年以来の中国大陸を出自とする政府から、台湾の有権者が選出した台湾の人々を代表する政府に変貌したからです。
ただ、中華民国という名称や憲法の体制はそのまま残されました。台湾が民主化に突き進んだ1990年代後半から、中国(中華人民共和国政府)が軍事的威嚇を交えて「台湾独立反対」と強く牽制したことに加え、中国大陸で生まれ台湾で生き残った中国国民党に「中華民国」体制への愛着が強く、国家体制の抜本的変更への機運が高まらなかったのです。民意の大勢は、いわゆる「現状維持」となりました。
紆余曲折をへて、2015年、中華人民共和国の習近平国家主席と中華民国の馬英九総統の歴史的な会談も実現したこともありました。ただ、以後、中台関係は冷え込み、対立関係になっています。その根本的な要因は、中台関係の現状と将来に関する認識の食い違いなのですが、詳しくは、次回に解説することとします。
台湾における総統・立法院の勢力推移
台湾では民主化以後、この四半世紀で、3回の政権交代が実現しました。
その推移を表したのが、次の図です。
『楊井人文のニュースの読み方』は、今話題の複雑な問題を「ファクト」に基づいて「法律」の観点を入れながら整理して「現段階で言えること」を、長年ファクトチェック活動の普及に取り組んできた弁護士の楊井がお届けしております。
今回の記事は無料記事となりますので、ご登録いただければ、無料で最後まで閲覧できます。
また、続編の台湾の基礎知識(2)は、サポートメンバー限定で配信予定です。このほか、独自の取材や調査・分析で入手した情報も、サポートメンバー限定でいち早くお伝えしたいと思っておりますので、ぜひご登録を検討いただけますと幸いです。
なお、記事のSNSシェアは歓迎しますが、本文の無断転載・無断公開はお控えくださいますようお願いします。