「国葬の法的根拠」再考 岸田首相は"根本的な理由"を説明していなかった

岸田首相は当初、国葬実施の法的根拠をきちんと説明していなかった。具体的な法律や国会の関与なくても実施できる、根本的な根拠を説明せず、内閣府設置法を持ち出してきたことで「法的議論」の混乱を招くことになった。
楊井人文 2022.09.25
誰でも

前回に続き、9月27日に予定されている安倍元首相の国葬について取り上げます。

この間の国葬をめぐる報道や議論を見聞きしながら、「法的議論」と「政治的議論」がごっちゃになっていないか、両者を切り分ける必要があるのではないか、「法的根拠」という言葉のあいまいさに注意しなければならないのではないか、という問題意識をもっています。

最初に申し上げておくと、私は、国葬について強い賛成の立場でも強い反対の立場でもありません。岸田首相の方針表明直後、7月16日にYahoo!に寄稿しました。そこでは、政府の説明を踏まえ、国葬は閣議決定で行うことができるとしつつ、社会的分断が広がることへの懸念を示しました。その時の「反対者に強制してはならないのと同様、静かに追悼しようとする行為を妨害するべきではない」との考えは、今も変わりません。

一方で、改めて検討すると、岸田首相の法的説明に不十分な点があったことも否めないことに気づきました。その点を指摘しつつ、次のように法的議論を整理していきたいと思います。

まず、「法的根拠」の意味は多義的で「法律の条文」に尽きるわけではないことを説明します。次に、国葬の法的根拠をめぐる「争いのない事実」を確認します。そして、岸田首相が当初「閣議決定だけで」国葬実施を決められることの「根本的な法的根拠」を説明していなかったことを明らかにします。法的には「必ず法律を定めなければならない事項」なのかが根本的に重要な論点であることを解説します。そのうえで、戦後の元首相を弔う葬儀の慣例を国会が事実上追認してきたことの意味を考えます。

反対論の勢いが増し「法的根拠がない」という言説が続出する中で、私がお話する内容に違和感や反発を覚える方もいるかもしれません。私としては、大半の法律家が同意するはずのオーソドックスな考え方をベースに論点を整理しながら、問題の本質に迫っていくつもりです。最後までお付き合いいただけると幸いです。

「法的議論」と「政治的議論」の切り分け

まず「法的議論」と「政治的議論」を区別する必要性を強調しておきたいと思います。

「法的議論」ーこれは、国葬を行う「法的根拠」はあるのか、手続きも含め、法律上・憲法上の問題はないのか、という「法規範・法的判断」をめぐる議論です。

「政治的議論」ーこれは、今回の国葬は、民主主義の観点から正当と言えるのか、そして政治的にどのような態度を示すべきなのか、という「政治的価値判断」をめぐる議論です。

前者の「法的議論」は、専門家でも完全に見解が一致することはないとはいえ、専門家どうしが冷静に議論すれば、"おおよそのコンセンサス"が得られるはずの論点だと考えています。

ところが、この専門的な「法的議論」と後者の「政治的議論」が一緒になってしまうと、「法的議論」が混乱して、わかりにくくなってしまうのです。私が見るところ、すでにそうなってしまっている状況ですので、まずは前者の「法的議論」を整理していきたいと思います。

「法的根拠」という言葉のあいまいさに注意

これまで「国葬に法的根拠はない」という言説を多く見聞きしてきましたが、この「法的根拠」という言葉ですが、定義のある法律専門用語ではありません。一般的に「法的根拠がない」というと「法的に認められない」という意味だと解釈される可能性があるため、「法的根拠」の意味を確認しておく必要があります。

「法的根拠」としてよく言及されるのは「法律の条文の有無」です。その主張を支える「明快な法律の条文」が見出されれば「法的根拠はある」と言えるでしょう。

では、そうした明快な法律の条文がなければ、ただちに「法的根拠はない」と言えるかというと、必ずしもそうではありません。法律の世界では「法的根拠」イコール「法律の条文」ではないということを確認しておきたいのです。

筆者作成
筆者作成

一つ例をあげます。法律婚をしていない「内縁」関係(事実婚)。これは、法律のどこにも書かれていないのですが、内縁関係は法律婚に準じる扱いを受けるという最高裁判例があります。そのため、たとえば内縁関係解消による財産分与の請求が認められています。このように、「法律の条文」はなくても(判例をはじめとする法解釈により)法的根拠があるといえる場合が少なくないのです

「法的根拠」による正当化は、法律の条文だけでなく、判例、条理、学説、慣行なども用いられます。人間が作ったルールの世界ですから、この議論に「絶対解」はありません。その主張を支える根拠の強弱や説得力に応じて、その法的根拠は「明確だ」「十分だ」「不明確だ」「不十分だ」といった評価はできますが、やはり「評価」なので、どうしても人によって分かれてしまうことが避けられません

専門家や有識者の言説、メディアの報道を注意深く観察すれば、「法的根拠がない」と断定している言説もあれば、「法的根拠が乏しい」「あいまい」「不明確」と評しているものも少なくないことに気づくはずです。「法的根拠がない」というのと「ないとは言わないが、不明確」というのとでは、印象や意味合いがかなり異なるのではないでしょうか。

まず「争いのない事実」を確認する

今回の国葬の「法的根拠」論は、大変「わかりにくい」ことは間違いないと思います。政治家も法律家もメディアも(それぞれの政治的立場とあいまって)いろいろな見解を述べているので、一層わかりにくくなっています。

それぞれの立場の主張が錯綜している場合は、まず、立場の相違にかかわらず認識を共有できる、「争いのない事実」を確認することが重要です。

今回の争いのない事実とは、「国葬(儀)」に関する明文の法律、根拠規定がない、ということです。これは、政府も「国葬(儀)」に関する法律が存在しないとはっきり認めています(例えば、8月15日付政府答弁書)。

この争いのない事実を前提にして、「国葬は、法律の根拠規定がなくても実施できる」と考えるか、「法律の根拠規定がないと実施できない」と考えるか、が論点となります。

岸田首相の説明に欠けていた「根本的な法的根拠」

国葬について法律の根拠規定はないのに、では、なぜ政府は「国葬を実施できる」と考えるのか。

岸田首相は国葬の方針を明らかにした7月14日の記者会見で、記者の質問(このときは、国会審議は必要ないのか?という質問でしたが)に対し、次のような説明を行いました。

国の儀式を内閣が行うことについては、平成13年1月6日施行の内閣府設置法において、内閣府の所掌事務として、国の儀式に関する事務に関すること、これが明記されています。よって、国の儀式として行う国葬儀については、閣議決定を根拠として、行政が国を代表して行い得るものであると考えます。これにつきましては、内閣法制局ともしっかり調整をした上で判断しているところです。こうした形で、閣議決定を根拠として国葬儀を行うことができると政府としては判断をしております。

この説明が大変「わかりにくい」ことはたしかです。分解してみると、岸田首相は5つのことを言っていることがわかります。

 ① 内閣府が「国の儀式」を担当すると定めた法律がある
 ② 「国の儀式」は、内閣(行政)が国を代表して行うことができる
 ③ 「国の儀式」は、閣議決定を根拠として、行うことができる
 ④ 国葬儀は「国の儀式」として行うものである
 ⑤ 閣議決定で国葬儀を行えることについては、内閣法制局と調整をして判断した

このうち、①は内閣府設置法4条3項33号にあり、ファクトとして争いがありませんが、国葬の根拠法といえるのかは別です。②〜④は結論を示しているだけで、なぜそう言えるのかの「真の根拠」が示されていません。⑤も検討経過の説明で「根拠」とは言えないでしょう。

岸田首相は「閣議決定を根拠として」と言っているので、国葬実施の「直接的な」法的根拠は「閣議決定」であるとの見解と考えられます。実際の閣議決定(7月22日)をみると、内閣府設置法の根拠条文は示されていませんでした。つまり、政府も内閣府設置法を「根拠法」とは考えていないことは明らかです。

問題は、なぜ「閣議決定だけで」可能なのか?という根本的な疑問に答える説明が、なかなか行われなかったことです。

法的根拠をめぐる議論が高まる中、政府は8月15日、議員の質問主意書に対する答弁書の形で、次のような見解を示しました。

現在までに国葬儀について規定した法律はないが、いずれにせよ、閣議決定を根拠として国の儀式である国葬儀を行うことは、国の儀式を内閣が行うことは行政権の作用に含まれること、内閣府設置法(平成十一年法律第八十九号)第四条第三項第三十三号において内閣府の所掌事務として国の儀式に関する事務に関することが明記されており、国葬儀を含む国の儀式を行うことが行政権の作用に含まれることが法律上明確となっていること等から、可能であると考えている。

「国の儀式を内閣が行うことは行政権の作用に含まれる」というのも、大変わかりにくい説明でした。要するに、「国の儀式」は「法律や国会の関与がなくても、行政権の裁量で」行える事項だと言っているのだと思いますが、なぜそう言えるのか、「行政権」が「立法権」を排除して自らの裁量だけで決めてよい根本的な理由の説明にはなっていませんでした

答弁書では、記者会見と同様、「内閣府設置法の規定」も挙げていますが、これも「法律や国会の関与なくやってよい」ことの根拠にはなりません。この規定は「国の儀式」を行うときは内閣府が担当するという「役割分担」を定めたにすぎず(専門的には「所掌事務」規定といいます)、具体的な「国の儀式」の内容を決定する際の「法律や国会の関与の要否」とは関係のない規定だからです。

岸田政権の一連の説明を振り返ってみると、直接的な法的根拠は「閣議決定」と繰り返すものの、「具体的な法律や国会関与がなくてもよい」ことと無関係な内閣法設置法をむやみに持ち出し、真の法的根拠についての説明が抜け落ちていたのです。

「必ず法律で定めなければならない事項」かどうかという論点

最も根本的な法的根拠、それは「法律の条文」ではありません。

「必ず国会が定める法律によらなければならないような事項」は「人権や権利の制限を伴う事項」であるという考え方です。逆に言えば、人権・権利制限に関すること以外は、法律で定めてもよいし、定めなくてもよい(行政権に委ねてよい)という考え方です。これを、専門的には「法律の留保」に関する「侵害留保説」といいます。

筆者作成
筆者作成

これが、行政実務や学説の支配的見解です。その考え方を踏まえた最高裁判例もあります(自動車一斉検問事件)。「人権・権利制限に関すること以外であっても、重要な事項は法律が必要だ」という学説や主張もありますが、「それ以外の重要な事項」はどこまで含めるのかがあいまいで、一致した見解がありません。

人権・権利制限を伴わないなら「必要的法律事項」ではない、という学説(法理論)が、法律の規定がなくても国葬の実施を行政権・内閣の一存で決めることが可能であることの、根本的な法的根拠なのです。

憲法学者の京都大学、曽我部真裕教授も、次のようにコメントしています。

国民の権利を制限する場合には法律が必要だが、今回は必ずしも必要ではなく、政府の説明はそこまでおかしくはない。一方、国葬は広く追悼の意を示すことが求められるので、論争がある中で行われるとその意義が失われてしまう。そういう意味では手続きを定めた法律があるほうが望ましい
NHKニュース 8月26日(太字筆者)

法律があった方が「望ましい」というのは「法的議論」というより「政治的議論」としての見解です。「法的議論」で重要なのは「必ずしも必要ではない」という点です。

岸田首相がこのことを明確に言葉にして説明したのは、9月8日、国会(閉会中審査)でのことでした。

今、国葬儀について具体的に定めた法律はありませんが、先ほど申し上げたように、行政権の範囲内で、内閣府設置法と閣議決定を根拠に決定したわけですが、こうした国の行為について、国民に更なる義務を課するとか何か行為を強要するということではない限り、具体的な法律は必要がないという学説に基づいて、政府としても、今回の件についてしっかり考えています。

私は、岸田首相は、これを最初に、言うべきだったと思います。「権利制限を行わない」ことへの明言も必然的に伴うべきでした。それがあまりに遅きに失していました。内閣府設置法という「国葬実施の根拠法」でもなければ、「閣議決定だけで行える根拠」でもないものを、むやみに持ち出したことも混乱の要因だったと思います。

今回の国葬はなぜ違憲・違法とならないのか

政府は「国葬の実施は、個々の国民に弔意を求めるものではない」と繰り返し説明してきました。これは国葬の実施は「人権・権利制限を伴うこと」ではないことを意味しています。それを前提とすれば、法律の根拠規定がなくても違法性・違憲性の問題にはなりません

なぜなら、人権・権利の制限を伴わなければ、憲法の人権保障規定に反するという問題になり得ないし、何かの法令に違反するということもないからです。

内心の自由の侵害などを理由に憲法違反を主張する向きもありますが、国民に弔意などを要請・強制しないと言っている以上、そうした問題になりません。

例えば「国葬は天皇に限って行うものとする」とか「天皇以外の人物を国葬にするには国会の議決を経るものとする」といった法律が制定されていれば、話は別です。実際には、国葬について規律した法律がないので、法令違反(違法性)の問題になりようがないのです。

戦後の元首相葬儀11例すべて「閣議決定」の意味すること

戦後、国費負担で実施された元首相の葬儀は11例ありました(平成以後に限っても6例)。うち「国葬」の名称では吉田元首相の1例だけ、全額国費負担は三木元首相を含め2例ありましたが(衆議院法制局資料)、すべて「閣議決定」だけで行われてきました

衆議院法制局作成資料より
衆議院法制局作成資料より

以上の法的議論と戦後の経緯から、次のことも言えると思います。

天皇以外の人物を国葬(あるいは国費負担による類似の葬儀)にすることについて何らかのルールを設けたり、その決定プロセスに国会の関与を入れるべきなのであれば、国会が法律で定めていればよかったのではないか。

これまで吉田茂元首相の国葬をはじめ、国費負担による葬儀が閣議決定だけで繰り返し行われてきた前例がある中で、行政裁量を制限したり、国会の関与を義務付ける法律を作ってこなかったのではないか。法律がない以上、国葬等の実施は行政権の幅広い裁量に委ねられていた、と解釈されても、いたしかたないのではないか。

そう、立法権をつかさどる国会は、法律で介入しないことにより、閣議決定で元首相の葬儀を行ってきた慣行を追認してきたとも言えるのではないでしょうか。

「民主主義」から自動的に「規範」は導けない

ここまで「法的議論」の観点から、岸田首相の説明の問題点とともに、国葬を実施できる「根本的な」法的根拠について解説してきました。では、法的には内閣の裁量で、閣議決定だけで可能だとしても、「民主主義」の観点からはどうなのか。

「民主主義なのだから、大事なことは国会で議論して決めるべきだ」という議論があります。一般論として、原則論としては、その通りです。大事な考え方です。

ですが、「民主主義」の理念から自動的に、具体的なケースでの「規範」(こうしなければならない、あるいは、こうしてはならないというルール)が導かれるわけではありません。「大事なこと」は何なのか、「国会が関与すべきこと」は何なのか、「どのような関与」がよいのか、それは決して自明のことではないからです。

それは政治的価値判断を伴う議論になります。特に、国葬等、政治指導者の弔い方をめぐっては、政治的評価、人の死、遺族も関係するだけに、簡単ではありません。そうした議論をしたうえで、行政(内閣)に全面的に委ねるべきでないというなら、「あらかじめ」国会で法律によって「規律」しておくことが、現実の代議制民主政では求められるのではないでしょうか。本来そうした「規範」が必要なら、国会がそうした法律を作ってこなかったことの責任も問われると思うのです。

国葬をめぐっては、単純に「賛成」「反対」だけに分けられるものではなく、様々な立場があり得ます。これ以降は「政治的議論」の領域になりますので、稿を改めることにします。

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