ヒトはなぜ戦争をするのか? アインシュタインの2つの書簡から学べること

ウクライナ侵攻による「負の感情」の連鎖から距離を置くことは、いかにして可能か。
楊井人文 2022.03.02
誰でも

2月24日、ロシアがウクライナを侵攻しました。

コロナが吹き飛んでしまうほどの、大きなニュースになっています。

読売新聞2022年2月25日付朝刊

読売新聞2022年2月25日付朝刊

なぜこんな時代に、こんな戦争が起きてしまうのか。何とかできないのか。そんな思いを抱きながら、ニュースに接している方も多いかと思います。

私がいま強く懸念していることは、この戦争をめぐって様々な情報、言説が、メディア・SNSを通じて、ものすごい勢いで拡散されていることです。

それによって「負の感情」の連鎖反応が次々と起きているように思えてなりません。

「コロナ禍」の最初期と似ているような気がします。

否、今回は人為的な破壊行為を伴っている分、より一層深刻に、人々の心にダメージを与えているのではないか。そのことが、事態をより悪化させる方へ向かわせるのではないかと。

正直にいうと、私自身がダメージを受けていると告白しなければなりません。そのため、当初の予定よりニュースレターの配信が遅れてしまいました。

情報の渦から距離を置く必要性を感じている、今日このごろです。

そこで今回はニュースそのものから離れて、一冊の本を紹介したいと思います。

「今の文明でもっとも大切と思われる事柄」

これは皆さんがご存知の、物理学者のアインシュタインと、精神分析学者のフロイトで交わされた書簡を収録したものです。

今からちょうど90年前、1932年のこと。

アインシュタイン(ドイツ出身、1879〜1955年)が、国際連盟(今の国際連合の前身)から依頼を受けました。

今の文明でもっとも大切と思われる事柄を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください

そこでアインシュタインが選んだテーマが、これ。

「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」

書簡の相手として選んだのが、精神分析学者の創始者として有名なフロイト(オーストリア出身、1865〜1939年)でした。

ヨーロッパを主戦場とし、900万人もの戦死者を出した第一次世界大戦の終結(ドイツ降伏)から14年後。

アインシュタイン(当時53歳)がフロイト(当時67歳)に手紙を出したのは、ナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)がドイツ総選挙で第一党に躍進した1932年7月でした。

この書簡を交わした翌年、ヒトラーが首相に就任。ともにユダヤ人だった二人は亡命することになります。

(筆者作成)

(筆者作成)

国家主権の一部委譲というアイデア

この書簡は中学生でも読めそうな非常に平易な言葉で書かれており、文庫本で正味50ページ弱しかありません。

その中から、私が印象に残ったところを簡単に紹介します。

まず、アインシュタインの問いかけから。

国際的な平和を実現しようとすれば、各国が主権の一部を完全に放棄し、自らの活動に一定の枠をはめなければならない。

他の方法では、国際的な平和は望めないのではないでしょうか。
『ひとはなぜ戦争をするのか』講談社文庫、フロイトへの手紙(p.13)

これは「近代国家」の成り立ちを考えれば、わかりやすいかと思います。

昔はどの地域にも、部族・集団の間で、紛争や権力闘争を実力で決着させる時代がありました。「近代国家」はそうした実力行使を禁じ、国家機関が「暴力」を独占して、法律でコントロールすることによって、内部的な平和・均衡状態(内戦・内乱が起きない状態)を作り出してきたのです。

現代は、そうした「暴力」(軍事力・警察力)を集権的に独占した「国家」がこの地球上に、いわば "群雄割拠" している状態といえます。他方で、国家間の武力行使としての戦争は何度も繰り返されてきました。

そこで、近代国家が成立したときと同じように、今度は「国家」の対外的な武力行使を禁じ、各国家が有している主権の一部、特に軍事力を、国家よりも上位の国際組織に委譲する(譲って任せる)ことによって、国家間戦争が起きない状態を作り出せるのではないか、というアイデアが生まれました。

こうしたアイデア自体は、遅くとも18世紀の哲学者カントの時代からありました。

アインシュタインらが生きていた時代、第一次世界大戦の反省で創設された国際連盟(1920年〜1946年)について、フロイトはこう述べています。

独自の権力、自分の意思を押し通す力を国際連盟は持っていないのです。否、国際連盟がそうした力を持てるのは一つの場合に限られるのです。個々の国々が自分たちの持つ権力を国際連盟に譲り渡すとき、そのときだけなのです。とはいえ、目下のところ、個々の国々が自分たちの主権を譲り渡す見込みはほとんどありません。
『ひとはなぜ戦争をするのか』講談社文庫、アインシュタインへの手紙(p.35)

ただ、フロイトは、歴史的にみれば「戦争」が、より大きな単位の中央集権的な権力を作り出せる契機になる、ということも言っています。

この書簡から7年後に第二次世界大戦が勃発しました。もし実現するとすれば、この大戦後がチャンスだったのかもしれません。

しかし、新たに発足した「国際連合」は、前身の国際連盟と同様、国家主権(とりわけ軍事力)の譲渡が行われることはありませんでした。

代わりに合意された国家の「武力行使」のルールは、次のとおりでした。

  • (1)国際関係における武力の行使(威嚇を含む)は禁止する。

  • (2)ただし、不正な侵害を受けた場合、(3)の措置を取るまでの間、侵害した国への武力行使(同盟国との共同行使を含む)は認める。(個別的自衛権集団的自衛権

  • (3)どこかの国が不正な侵害を犯した場合、必要に応じて加盟国が「国連軍」を組織し、侵害した国に武力行使する。(集団安全保障に基づく強制措置

それぞれ、国連憲章の2条4項、51条、42条です。(3)の「国連軍」は、中国、ロシアを含む安全保障理事会の決議が必要で、まだ一度も正式に組織されたことはありません。

いまよく話題になっているNATO(北大西洋条約機構)は、(2)の集団的自衛権を前提とした軍事同盟組織です。

書簡を交わしたアインシュタイン(左)とフロイト(右)(<a href="https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Albert_Einstein_Head.jpg?uselang=ja">wikimedia commons(1</a>)<a href="https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sigmund_Freud_LIFE.jpg">(2)</a>より)

書簡を交わしたアインシュタイン(左)とフロイト(右)(wikimedia commons(1)(2)より)

心のわな アインシュタインも

元の書簡に戻ります。

アインシュタインはもう一つ、フロイトに質問しています。

平和が訪れないのはなぜか。「人間の心」に問題があるのではないか、と。

人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!
(・・・略・・・)
ここで最後の問いが投げかけられることになります。
人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?
『ひとはなぜ戦争をするのか』講談社文庫、フロイトへの手紙(p.16)

最後の一文の「人間」に、ある国家指導者の名前を当てはめたくなる衝動にかられますが、やめておきましょう。ここで問われているのは、すべての人間の問題ですから。

フロイトの答えは、簡単にまとめると、こうです。

人間には憎悪への本能がある。「生への欲動」と「破壊への欲動」がある。現実には両方が複雑に絡み合っているが、こう結論します。

人間から攻撃的な性質を取り除くことなど、できそうにもない!
『ひとはなぜ戦争をするのか』講談社文庫、アインシュタインへの手紙(p.45)

ただ、フロイトは、攻撃的な性質は取り除けないとしても「戦争」に駆り立てられないようにするための、いくつかの策を示そうとしました。

  • 戦争とは別のはけ口を見つけてやる

  • 感情と心の絆を呼び覚ます

  • 優れた指導層をつくるための努力を重ねる

  • 戦争に対して人間が皆反対して声を挙げる

いずれも根本的に戦争をなくすことはできないものの、現実的にとり得る対処法だろうと言っています。

最後には「文化の発展」を持ち出しています。これだけの破壊兵器が発達した現代(注:これが書かれたのは核兵器が存在しない時代)の戦争に対して「多くの人間の心と体が反対せざるを得ない」はず。そうした拒絶反応をもたらすのは「文化の発展」だと主張するのです。

文化の発展によって「ストレートな本能的な欲望に導かれることが少なくなり、本能的な欲望の度合いが弱まって」くるのだ、と。

最近の言葉でいえば「草食化」でしょうか(笑)

こうしたフロイトの答えに対し、アインシュタインはどんな感想を抱いたのか。一回きりの書簡しか収録されていないので、わかりません。ナチス政権の成立でそれどころではなくなったのかもしれません。

***

「人間の戦争からの解放」という問題意識を強くもち、フロイトへの書簡で自分は「ナショナリズムとは無縁」と言っていたアインシュタイン。

実は、あれから7年後、彼は、のちに「大きな誤りだった」と認めることになる、核兵器開発を進言する書簡に署名し、時の大統領ルーズベルト(在位1933〜1945年)に送ってしまったのです。

ナチス・ドイツが先に開発してしまうことへの恐怖感。

まさに動物的な、情念的なものが、天授の理性をもった彼をして、突き動かしたのです。まさか、ドイツがまだ開発を始めていなかったとはつゆ知らず、アメリカがそれを使うことになるなどとは夢にも思わずに!

ルーズベルト米大統領に宛てた1939年8月2日付け書簡(<a href="https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Einstein-Roosevelt-letter.png">wikimedia commons</a>より)

ルーズベルト米大統領に宛てた1939年8月2日付け書簡(wikimedia commonsより)

誰もが逃れられない現実

この本を読んでいる間、ついつい「何か手がかりはないか」と探している自分に気づきました。答えが見つかったわけではありませんが、平凡ながら、改めて次のような事実を確認できたように思います。

人間は、文化的・理性的な存在である前に、本能的欲求をもった動物である

この動物的、情念的なるものが、暴力装置をもって集合的に形成された「国家」がこの地球上に割拠している

国際法は強制力をもたない、ゆるやかな秩序にとどまる。その維持は国家それぞれの意思や力に依存している

これは、どこか特定の国や指導者のことではありません。

すべての人間、国家がこのことから逃れられない、というリアリズム(現実認識)を持つ必要があるように思います。

そして、いま起きている戦争をめぐる「情報」の氾濫と「負の感情」の連鎖反応も、我々自身がそうした動物的、情念的な存在であるがゆえに、本能的に、否応なく、引き起こされたものではないか、という気がしてなりません。

自分もその渦中から逃れられないと自覚しつつ、ニュースで見落とされている事実や視点を提供できればと考えています。

次回は「この戦争は止められなかったのか」「計算違いをしたのはプーチンだけなのか」という視点で、事実を整理してみたいと思っています。

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